袖触れ合うも多生の縁:道で人と袖をふれあうようなちょっとしたことでも、前世からの因縁によるもの
新幹線に乗った時、社内の周りの人たち、通りかかる人たちにご縁を感じたという新聞の投書。確かに、偶然同じ列車に乗り合わせることもご縁なのかもしれません。
話しかけることもなく、目を合わせることもなかったとしても、自分の今日のひとときを同じ場所で過ごした、そう思うとなんとなく特別な感覚が出てくるものです。
投書の人は「では、私はここで失礼します。一緒に乗り、近くの席にいてくれて安心感がありました。そして無事到着。だまって降りていくけれど。皆さん、ありがとう」と文章を締めくくっていました。
気持ちがゆったりしていたら、きっとこの人のような感じ方ができるのでしょうね。「隣のおじさん、大きいな・・」「あっちの席の人たち、話し声がうるさいな・・」なんて思っている時とは違って、きっと数時間の車内が自分にとって「いい時間」になるのでしょうね。
この投書を読みながら、「袖ふれあうも・・・」の語句が浮かんできました。
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