アメリカ人のアーサー・ビナードさん。講演を聞きました。
http://www.web-nihongo.com/wn/haragonashi/index.html/
日本人顔負けの日本語力、などという表現は、ビナードさんにはかえってふさわしくないように感じます。日本人以上に日本語としっかり向き合って、大切に使っていらっしゃる様子に、ただただ「すご~い!」。前世は日本人だったのかな・・・
講演会は、福島の原発事故に触れて、日本の核政策がアメリカの指導のもと、戦後いかに周到に準備なされてきたかや、原爆も「過去」のことではなく、現在の私たちに、どのように影響があり、何を考えていくべきかを話してくださいました。
「きれいな日本語」を久しぶりに聞いたような、そんな講演会でした。
その講演会の折に手に入れた、ビナードさんのエッセイ「亜米利加にも負けず」にあった文です。
「言語というのは、伝達の道具であると同時に、世界を見るレンズの役割も果たす。英語の中で生まれて育ったものが、“英語眼鏡”を通して世界を眺め、日本語が母語のモノは“日本語眼鏡”をかけて世界を見回している。だが、母語以外のもうひとつの言語を身につければ、眼鏡のかけ替えが可能になる。」
二つの言語を使うからこそ見えてくるものがある。謡(うたい)をこよなく愛するというビナードさんに改めてそれを教えてもらった気がします。
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