2008年4月30日水曜日
2008年4月29日火曜日
老いるということ
母との同居がスタートしたのは昨年の6月。ほぼ10ヶ月となりました。92才。介護保険の介護度3で、認知症があり、生活全てに「介護」が必要です。
戸惑いと混乱が続いた当初約2ヶ月。私が思っていた以上に、母は母ではありませんでした。母の世界がどうなっているのか、それがわからずに、私の心があれこれ迷っていました。
人は年齢を重ねることで、人生の幅を増し豊かになっていく、そう信じていた、というより、信じていたかった私です。でも目の前にいる母は、私が知っている母とは全く違う人でした。そんな母の姿が許せなかった、それが多分私の本音でした。
何をするでもなく、ただ座っていて、時に部屋の中をウロウロしている。テレビやあれほど好きだった本にも何の反応を示さない。母は一体何をしているのだろうか、それをずっと考えていました。
そんな時「“doing”から“being”への変化、それが老いるということである」という言葉に出会いました。何かをするのではなく、ただそこに居る、その存在そのものが老いであるというのです。つまり今の母なのです。
ヨチヨチであっても、一人で歩けて、夜はよく寝て、食事もちゃんと一人で食べられる。母の「いいことさがし」を心の中で繰り返しながら、“being”の母との生活が続いています。
戸惑いと混乱が続いた当初約2ヶ月。私が思っていた以上に、母は母ではありませんでした。母の世界がどうなっているのか、それがわからずに、私の心があれこれ迷っていました。
人は年齢を重ねることで、人生の幅を増し豊かになっていく、そう信じていた、というより、信じていたかった私です。でも目の前にいる母は、私が知っている母とは全く違う人でした。そんな母の姿が許せなかった、それが多分私の本音でした。
何をするでもなく、ただ座っていて、時に部屋の中をウロウロしている。テレビやあれほど好きだった本にも何の反応を示さない。母は一体何をしているのだろうか、それをずっと考えていました。
そんな時「“doing”から“being”への変化、それが老いるということである」という言葉に出会いました。何かをするのではなく、ただそこに居る、その存在そのものが老いであるというのです。つまり今の母なのです。
ヨチヨチであっても、一人で歩けて、夜はよく寝て、食事もちゃんと一人で食べられる。母の「いいことさがし」を心の中で繰り返しながら、“being”の母との生活が続いています。
2008年4月27日日曜日
2008年4月26日土曜日
小さなお寺
2008年4月24日木曜日
新緑の季節になりました
桜の季節が終わったとたんに、今年は大急ぎで新緑の季節になってしまったようです。我が家のけやきにも新しい葉が出そろい、日に日に大きくなっています。ひょろひょろした「株立ち」の木がこの庭に来てから今年は20年となりました。丸みを帯びた幹が数本、我が家の庭の主は今年も元気です。
一昨年の秋、枝が大きくなりすぎたので、植木やさんに切り込んでもらいました。高い枝がほぼなくなった状態になりました。本当の「丸坊主」、ちょっと心配になったほどでした。
そして、昨年の春、新芽を見てびっくり!とにかく大きいのです。普段の葉っぱの三倍はあるような葉がどんどん出てきました。細い枝があちこちににょきにょきのびで、そこに巨大な葉っぱが並びます。それはいつも見慣れた新緑とは全く違う光景でした。
そして今年、新しい葉は以前と同じ大きさに戻りました。去年あれほど一杯出てきた細い枝は、半分以上、葉をつけない状態となりました。突然枝を切り取られ、けやき自身、「こりゃ大変だ」と思ったに違いありません。大きな葉をつけることで、身体の中に栄養をため込もうとしたのでしょうか。
青空と若葉の緑、けやきを見上げながら、「おどろかせて、ごめんね」と心の中であやまった私でした。
登録:
投稿 (Atom)